激動アジア 北朝鮮の脅威(18)残置諜者

弱小国の北朝鮮が今、超大国と対峠する驚愕の事態、即ち、米国と中国を核とミサイルで威嚇、こんな事はあの朝鮮人達のみでは不可能であろう。何か別のもっと深い裏があるのだろう。

これが大日本帝国であるらしい。大東亜戦争は1975年ベトナム戦争の終了を持って終り同帝国が勝利したという説があるが、これが現在も続いていて、それこそが同帝国の末裔たちが支配する北朝鮮ではないのだろうか。

長年の私の疑問「何故南ベトナムが滅んで北が勝利したのか」がこの連載で解けた。即ち、北ベトナムの背後に大日本帝国軍人と北朝鮮がいたのである。だから超大国アメリカと10年以上も粘り強く戦ってベトナム戦争に勝利できたのだ。今も北朝鮮には日本人の残置諜者達がいて白人(米国、中国は白人の犬)と戦っていると考えると辻褄が合うし、将来、韓国が滅び北朝鮮が勝利すると予想される。

今日は残置諜者で以下が本文です。

(4)北朝鮮は残置諜者達が建設した

北朝鮮は残置諜者の子孫達が支配しているらしいが、その中心の畑中理についてこれから触れるが、情報は非常にすくない。

ア.畑中理は中野学校卒ではない?

金策(畑中 理)前々稿において「金策元副首相(1903~1951?)=大日本帝国陸軍中野学校卒「残置諜者」畑中理(日本人)」と述べたが、中野学校卒は間違いかも知れない。同校存在年代(1938~1945年)と金策の年齢が合わない。即ち、同校開校時35才、閉校時42才であり就学年齢を過ぎている。(右の写真は金策=畑中 理)

実際に金策は27才で中国共産党に入党、33才で中国東北抗日聯軍第3軍4師政治部主任、第3路軍第3軍政治委員・中共北満省委書記であり、37才でハバロフスク会議の前後に金日成と出会っている。これでは中野学校と金策(畑中理)は重ならないので同校卒は無理のように感ずる。(参照

ちなみに満州国(1932~1945年)建國時は彼は29才、消滅時が42才である。以後、1948年北朝鮮建國45才、1950年朝鮮戦争勃発47才、48才で戦死した。1953年同戦争休戦。なお彼は戦死せず影から北朝鮮の発展に尽力したという説も存在するが、私はこちらを取りたい。

イ.畑中理の出自

残置諜者の金策(畑中理)については、北朝鮮の聖書とも言えるような物凄い書籍、佐藤守著「金正日は日本人だった」(2009年)(以後、同書と称する)により明らかになった。そして同書は北朝鮮裏情報に大きな影響を与えている。

同書によれば、当時、共産主義思想の流入を恐れた日本政府は、防共、反共の二本立ての楔を考え、一本目の楔は内部から共産党を破壊するもの、二本目の楔はその革命を買いコントロールすることで、後者に選ばれたのが残置諜者の畑中理であり、日本共産党の野坂参三であった。

畑中理に関する系図(下図)がネットに上がっている。驚くなかれ彼の兄が自民党の創立者で船舶振興会の笹川良一であり、創価学会の牧口常三郎や戸田城聖、そして皇族ご落胤の大本教出口王仁三郎、等と同族であったとは。
上田家系図
畑中理の祖父上田吉松(系図では音吉?)は家職が皇室の忍者で全国を回遊して、下北半島に来て、津軽藩士の娘に生ませたのが父の上田鬼一郎、この父も徘徊ぐせがあり二代目吉松を継いで大阪で兄の笹川良一を作っている。以上の記述や系図に関する参考資料を下記に示す。

●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(28) ◆落合莞爾
非常に重要な話になるが・・・。
卍党とスマイル党
wiki笹川良一

話を同書に戻すと、畑中理は政治結社の玄洋社・黒竜会が放った残置諜者であったという。しかし彼の日本における履歴は上述以外一切不明、例えば、母親や出身校等もわからない。だから彼は満州と朝鮮で生きたのである。

続きます。

(過去記事)
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奴隷と戦争の野蛮で下らない西洋文明は終わりだ。新しい日本時代に向けて発言して行きたい。趣味は読書と盆踊り、愛知県在住、男性、Twitter(宙啐toroco)運営開始。