点と線 宇宙人とヒットラー 5

「点と線 宇宙人とヒットラー」の続きです。

前回までの話
モントーク実験による時空の割れ目から地球に侵入してきた宇宙人のヒットラーは、第一次大戦終戦直後のドイツに闇の勢力ロスチャイルドの工作員として登場しますが、これは彼が30歳(1919年)の時でした。そして彼は光の勢力が作った秘密結社「トゥーレ協会」に潜入して乗っ取り闇の勢力に変えて行きます。「トゥーレ協会」こそその後ナチスやSS(ナチス親衛隊)を生み出した核になる組織でした。

実はヒットラーの祖父はソロモン・メイヤー・ロスチャイルド男爵であった。同工作員として登場後のヒットラーは、ロスチャイルドが支配する国際および国内金融財閥から豊富な活動資金を与えられ政権を握って第二次世界大戦を起こしドイツを敗戦に導き、大いにロスチャイルドと金融財閥に貢献した。

下記の5章ではヒットラーがロスチャイルド男爵の孫である事象を探ってゆくと共に、以前から課題の時空の割れ目から地球に侵入した宇宙人がヒットラーに何処でウォークインしたのかを探求してゆく。


5.ヒットラーの幼年~青年時代

多くの人々にとって幼年~青年時代とは人生の楽しい一時である。だからここは気楽で楽しい息抜きの章でありたい。幼年~青年時代のヒットラー伝記をネットで読めるサイトは下記に示す二つあり、それとヒットラー年表も下記に示した。これらを読んで、本稿のテーマである宇宙史的に見たナチス、ヒットラーの意味を考えながら感想等を簡単に述べる。

伝記: 青年ヒトラーの人生(以後、伝記Aと言う)、アドルフ・ヒトラー - 生涯 - Weblio辞書(以後、伝記Bと言う)
年表: アドルフ・ヒトラー人物年表

本論に入る前にヒットラー30歳までの年表を下記に示す。これは上記年表からコピーしたものである。

西暦(満年齢)    出来事
1889(0歳) オーストリア・ドイツ国境のブラウナウに生まれる(4月20日)
1890(1歳)
1891(2歳)
1892(3歳) 一家でパッサウ市へ転居
1893(4歳)
1894(5歳) オーストリア領内・リンツ市に移住
1895(6歳) 父アロイスがランバッハ市の郊外で農業を始める(6月)
1896(7歳)
1897(8歳) 父の農業が失敗に終わりランバッハ市内に定住
-      ベネディクト修道会系の初等学校に転校
1898(9歳) リンツ市に再移住
1899(10歳)
1900(11歳) 弟エドムントが死去
1901(12歳) (父との関係悪化からドイツ民族主義・大ドイツ主義に傾倒する)
1902(13歳)
1903(14歳) 父アロイスが病死、工業学校を退校処分となる(1月3日)
1904(15歳) シュタイアー市の中等学校(レアルシューレ)に再入学  
1905(16歳) 病気療養を理由に二度目の退校
1906(17歳)
1907(18歳) ウィーン美術アカデミーを受験するが不合格
-       母クララが死去1(2月) 
1908(19歳) ウィーンに移住しアウグスト・クビツェクと共同生活を始める(2月)
-        アカデミーを再度受験するが再び失敗
-        クビツェクの前から突然姿を消す(9月)
1909(20歳) 浮浪者収容所に入り、公営の独身者寄宿舎に移り住む(11月)
1910(21歳)
1911(22歳) 義姉アンゲラから訴訟を起こされ孤児恩給を放棄
1912(23歳)
1913(24歳) オーストリア=ハンガリー帝国の兵役を逃れるためミュンヘンに移住
1914(25歳) オーストリア当局に逮捕され本国に送還される(1月18日)
-       検査で不適格と判定され兵役を免除される
-       第一次世界大戦が勃発し一転して軍に志願、バイエルン王国歩兵連隊に入営
1915(26歳)
1916(27歳) ソンムの戦いで脚の付け根にケガを負い入院
1917(28歳)
1918(29歳) 一級鉄十字章を受勲
-        敵軍のマスタードガス攻撃に巻き込まれ一時的に視力を失う(10月15日)
-        第一次大戦ドイツ降伏で終結激しく動揺、超自然的幻影を見て視力回復(11月)
1919(30歳)  ミュンヘンのレーテに入る(2月16日)


伝記A、伝記B共に秀作で面白いですが、ヒットラーがウィーン・ロスチャイルド家の当主、ソロモン・メイヤー・ロスチャイルド男爵の孫であることを意識して読むと感じが全然違ってきます。

ロスチャイルド家がヨーロッパに覇を唱えたのは初代ロスチャイルドが没する19世紀始めごろだ(但しロシアは未征服)。それから100年経過し問題のロシア王朝は滅ぼされヒットラーの時代にはロスチャイルドは世界帝王であった。

(1)父は男爵のご落胤

アロイス・ヒトラーそんな帝王一族の非嫡出子であるヒットラーの父アロイスは1837年、アロイス・ヒトラーはシュトローネス村でマリア・アンナ・シックルグルーバーの私生児として生まれたことになっている。後年、母の結婚相手粉ひき職人のヨハン・ゲオルク・ヒードラーに育てられる。

小学校を卒業したアロイスはウイーンで靴職人の徒弟奉公を始めた。17歳の時には職人試験に合格したが、なおも独学で勉強を続けた。1855年にはオーストリア帝国大蔵省の守衛となった。1868年には雇人の立場から正式な官吏となり、出世を続けた。1892年には彼の学歴で到達できる最高の地位であるリンツ税関の上級事務官となった。(wikipediaより)

彼は税関の上級事務官の時、小学校校長よりも高い俸給をもらっており、人格的には努力家で蓄財の才があり地元の名士であったらしい。

如何なる能力があろうとも小学校出の靴職人が、衰えたとはいえハプスブルク帝国の上級事務官に出世するとは常識ではありえず、ロスチャイルド家のバックアップが存在する。

(2)ヒトラーの少年時代

アドルフ・ヒトラーは1889年、オーストリア税関吏アロイス・ヒトラーと3番目の妻クララの子として生まれた。ヒトラー家は地方名士として上流階級に属していた。なお、ヒトラーの家が貧しく暗い家庭生活を送ったとの通説はプロパガンダであろう。

伝記A: ヒトラーは「村始まって以来の神童」と言われるほど頭が良く、利発で、村の子供たちのリーダー的存在だったといわれている。

しかし11歳の時、進路で父と対立し転落が始まる。

伝記B:1900年、中等教育(中学校・高校)を学ぶ年頃になるとギムナジウム(古典学校、大学予備課程)で学びたいと主張したヒトラーに対して、アロイスはリンツのレアルシューレ(実科中等学校、Realschule)への入学を強制した。

このため、ヒトラーは反発、成績は振るわなくなり留年を繰り返し退学してしまう。


ヒトラーの少年時代は以上ですが、世界帝王となったロスチャイルド家には非嫡出子まで含めた親族管理システムが存在するのではないだろうか。初代ロスチャイルドから繁栄してヒットラーまで百数十年、親族は相当な数に上るであろうが、その中から嫡出子は本業に、非嫡出子は工作員として優秀な者を選び出し、教育し、業務を任せていかなければならないのだ。

近代~現代の世界の歴史を書いてきたロスチャイルド家である。当然優秀な親族管理システムがあり、ヒットラーの場合も幼少から監視され、上記伝記Aの「村始まって以来の神童」や、幼少からの弁舌の才能などもシステムに報告されていたであろう。

続きます。次はウイーン時代です。


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【結月ゆかり】炎のたからもの【オリジナル】


今日は「結月ゆかり」のオリジナル曲で「炎のたからもの」です。アップは2015年8月、制作は、作詞:橋本淳、作曲:大野雄二、の皆さんでした。
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奴隷と戦争の野蛮で下らない西洋文明は終わりだ。新しい日本時代に向けて発言して行きたい。趣味は読書と盆踊り、愛知県在住、男性、Twitter(宙啐toroco)運営開始。